宮崎哲弥の告白、マスコミの信頼失墜、いったい裏で何が行われているのか。


聞き捨てにならない宮崎哲弥氏の告白。

大先輩の発言、その大先輩って誰????

正直、宮崎哲弥って一体何者なのだろうか。

 

宮崎哲弥氏に問う偏向報道”大先輩からの圧力” by おもしろいもの見つけた゚+.(・∀・)゚+.

 

偏向報道はまだまだ続くのか……。

宮崎哲弥 – Wikipedia

ネットでこんな宮崎評がありました。

●宮崎哲弥(みやざき・てつや)
 評論家。名前を覚えている人は少ないと思う(失礼)が、「TVタックル」や「アクセス(TBSラジオ)」で常に「しゃらくせ~」って顔をしている評論家といえば、「ああ、あいつか」と思い当たる人も多いのではないだろうか。
 本人曰く「高校(地元の商業高校)までは札付きの不良」だった、がどこでどう道を間違えたか更正(?)して(おかげで「ミヤテツ」が誕生した訳だが)慶応に進学、文学部社会学科を出た後更に法学部に入りなおし(!)たがこちらは中退して広告会社に就職。
 研究員をやっていたようだが90年代前半(だったよな、「宝島30」の頃だし・・・)にあの西部大先生(「国民の道徳」の人)に見出されて評論家デビュー。
 そのデビュー作というのがまた西部先生の好きそうな(笑)「夫婦別姓批判本」だった。
 西部先生子飼いの(失礼!)評論家・八木秀次との共著であるその著作「夫婦別姓大論破」の帯には西部先生自らによる「十年に一度の逸材、ここに登場」みたいな感じのキャッチが載っていた・・・・。
 その後のこの二人の運命を考えると、なんともはやな話である。
 で、こうして「西部グループの俊英」としてデビューした宮崎はその後数年は「西部グループ」らしく「発言者」(西部先生が借金しながら出している保守同人・・・じゃなくて論壇誌)あたりでそれっぽい話(「家族」って大事だよね、みたいな感じ)をしていた、らしい。
 「らしい」と書いたのは私はこのころの宮崎の文章をほとんど読んだことがないからだ。
 正直な話、「ゴー宣」を中心に論壇が一時的な盛り上がりをみせていた90年代半ば、(「オウム」の頃)宮崎の存在感は今に比べると本当に「ない」に等しかった。勿論「論壇村」には良くも悪くも住民登録されて久しかったが、我々「論壇の外」(=フツーの人)にはまるで知られていなかった。よく出ていたもう一つの雑誌(「宝島30」)は潰れちゃったし。
 そんな我々オタク層がはじめて宮崎を意識したのは多分切通理作と出したエヴァ本「僕の命を救ってくれなかったエヴァへ」での対談だろう。
 かなり前に読んだのに加え、実はこの本自体は所有していないので(笑)かなり曖昧な記憶になるのだが、この対談中で宮崎と切通は当時話題だったあの「酒鬼薔薇」を「ある種の天才」だと断言していたのが何といっても強烈な印象として残っている。
 その頃宮崎を切通と同じような「ああ、サブカル系ライターね」くらいに思っていた無学な筆者は、この発言が明らかに「オタクの外」、具体的には「論壇の中」へ向けられていたことにビックリした。「ああ、こいつ、ケンカ売るつもりなんだ」
 論壇の中で「ケンカを売る」ということは「もっと売れたい・注目されたい」という野望表明に他ならない。
 今思えばこのエヴァ本の辺りで宮崎は文芸評論家のスガヒデミ(漢字が出てこない・・・浅田彰グループの左翼評論家、難解なことで有名)たちと出した「ニッポンの知識人」で同世代の評論家(浅羽・大月・大塚など)を徹底的にコキ降ろしており、この時期の宮崎はメジャー評論家へのジャンプを目指し、着々とステップを踏んで(お膳立てを揃えて)いたのかもしれない。
 そして宮崎が決定的に「メジャー化」する最大のきかっけとなったのは、件の「90年代最大の論争(笑)」であるところの「戦争論」「つくる会」そして「歴史教科書論争」である。
小林よしのりが「戦争論」を発表した97年、宮崎は待ち構えていたかのように小林批判を、そしてその小林の後見人であり自分を世に出した「恩師」とも言えなくもない西部一派への痛烈な批判を開始した。
 更に宮崎は小林の宿敵・宮台真司にも急速に近付き自他ともに認める「コンビ」を結成、タッグで「反つくる会」側(思想的には宮・宮コンビとは相当隔たりがあるが「敵の敵は味方」ということなのだろう)に味方し、論壇ファンをビックリさせた・・・・と書いてはみたがこの宮崎の「転向」「左傾化」は昔から宮崎を読んできた人間にとってはそれほど不思議なことではなかったらしい。
 西部グループに可愛がられていたせいで「保守」側に思われていた彼だが、「玄人筋」の見解では彼が当時叫んでいた「共同体主義」はアイロニー又は西部グループの言う「共同体」とは微妙に違うものであり、反・夫婦別姓でデビューしたという理由で勝手に西部やファンが宮崎を「保守」側だとカン違いした、というのだ。
 何度も言うが筆者は以前のミヤテツを全くというほど知らないのでこの「玄人筋の見解」がどうなのかは分からないが、ともかく、あれほど「周到な業界渡り」を得意としていたかに見える宮崎は、意外にも「自分の意志は曲げない」ロマンチストだったということなのかもしれない。
 そういえば大塚英志が石原慎太郎批判でしくじって「諸君」から追い出されたときに「どうせ論壇なんてプロレスなんだから」と腐っていたのに対し、この宮崎は「サイゾー」名物の宮台真司との「M2対談」で「俺はプロレスなんてやっているつもりはない」と明言していたのを思い出す。
 別の所では「自分は大衆とともに生き、大衆とともに死ぬ辻説法師なんだ」と言っていた。
 どうやら「自分はプロレスとみせかけて実はガチンコなんだ」と言いたいらしい。
 確かに言われてみればそんな気もする。
 最近も「今更選挙に行く人っていうのは<やりがい>が欲しいんだ」とか、他の論壇人だったら「そんな当たり前のことなんて言わない」ことを懇切丁寧に書いていたりした。宮台と組んだ「戦争論妄想論」「リアル国家論」の二作でも、他の執筆者は例の如く赤旗左翼系プロパガンタに終始していたのに反してこのM2コンビだけが、「こういう問題も考えなきゃいけないのかな」とか不用意にも思ってしまった(笑)「フツーの人」に向けられて書かれていた。「そんなことを無理に考える必要なんてない・無理に生きがいなんて求めなくていい・選挙になんて行かなくても立派な意思表示だ」と懇切丁寧に説明してくれる宮崎節に「こいつ、もっと嫌味なインテリ野郎じゃなかったっけ?」と思った人も多いのではないだろうか。
 他の同世代の論客が悪い意味で「ガチンコのつもりのプロレス」にハマってしまっているという声が多く聞かれる昨今、「プロレス臭いガチンコ」である(と、本人は主張する)ミヤ・テツの存在感は一種独特のものがある。
 ただ、その「独特」の部分が鼻についてか、今ひとつオシャレなサブカル君にも、不細工なオタク連中にも、少なくとも「キャラ」としては愛されていないのも事実だ。書いているものは面白いと思うんだけどね、難しいけど(笑)
                                                                         文責:片岡

 

 

 

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カテゴリー: つぶやき

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