尼崎医療生協病院が謝罪文。ミスは認めず。


いつ出るのかなぁと思っていた、尼崎医療生協病院の謝罪文がやっとホームページにアップされた。

やはり事故はあったが、ミスではないという見解。

さて、あとは、病院側の主張と遺族側の主張の対立構造を事実の上から解明することが望まれるが、もちろん遺族合意の第三者にゆだねることになるのか、そのあたりが気になるところだ。

ブログで激しく非難したことで、私もずいぶん批判を受けた。しかしながら、前回のブログでも書いたように、患者側が圧倒的に不利だということを考えてみると、今回の謝罪文を見ても、合点がいかないというのが正直な感想で、ミスではないとだけは、きちっと表明しておきたいということだろう。

病院側の見解として、ことの経過をしっかり表明したうえで、遺族の見解との相違を第三者に検証してもらいたい。

 

病院の謝罪文は次のとおり。

患者様、組合員様、地域の皆様へ

尼崎医療生協病院での医療事故報道について

2009年1月9日
尼崎医療生協病院
院長 島田 真

 2009年1月8日、新聞・テレビ等で尼崎医療生協病院での医療事故報道がされました。2008年11月27日に入院された重度の肝硬変の患者様に対し、診断と治療の必要性から12月4日に腹水穿刺を行いました。その後、肝硬変からくる極度の凝固機能低下があり、穿刺部周辺の腹壁内に出血を認め、12 月6日より輸血、止血処置などを試みましたが、その他の部位からの出血も加わり、12月16日に出血性ショックにより死亡された患者様に関するものでした。

 尼崎医療生協病院は不幸にもお亡くなりになられました患者様、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。ご遺族の皆様には、これまで同様誠実な対応を継続して参ります。

 今回の医療事故報道を見られた地域住民の皆様、尼崎医療生活協同組合の組合員、患者の皆様には大変ご心配をお掛けしました。

 現在尼崎医療生協病院では、この患者様の経過に関する医学的な検討を集団的にすすめており、現時点では今回の処置に明らかな過ちがあったとの認識はしておりませんが、今回の診断と治療が適切であったか、インフォームドコンセントが十分なされたかなど、今後第三者の専門家を含めた検討の場を持つことにしております。真摯に検討し、今回の教訓を今後の診療に活かしていく所存です。

 引き続き尼崎医療生協病院は、皆様方の信頼にこたえる診療をめざし職員一同一層の努力をして参ります。皆様のご支援とご協力をお願いいたします。

 

一方、録音テープでは、

娘が『失敗された、痛かった』と言ったから。『失敗したんでしょ』と言ったら『はい』って」(亡くなった女性の母親)
 不審に思った家族は病院に説明を求めます。
 そのとき病院側は結果的に病状を悪化させたと謝罪しました。
出血に対して十分な対応を結果的にしていなかった。甘く見ていたんだと思う」(女性の主治医~病院の説明の記録)
腹水を抜くのに失敗したのが原因?」(女性の母親~病院の説明の記録)
それが大きなきっかけ」(女性の主治医~病院の説明の記録)
 しかし8日開かれた会見では…。
「(Q.ミスといえるのか?)ミスという言葉を使っていいかについては、今のところこちらで判断しかねている」(尼崎医療生協病院・島田真院長)
「私らの前で言っていることと娘にも謝罪しているのにあの会見は何?とすごく腹立つ」(女性の母親)

 

お医者さんの感覚では、録音テープの内容では、ミスを認めていないことになるそうだ。私のブログを批判された方々の主張はそうなっていた。「十分な対応を結果的にしていなかった」 これは、たぶん、結果的にという言葉を入れることによるレトリックがあるんだろう。さらに、「甘く見ていたんだと思う」、この言葉は普通、判断ミスがあったと受け取られてもしかたがないのだが、医療関係者的には、なぜ、そうは取れないのか私には不思議。さらに、「腹水を抜くのを失敗したのが原因?」との問いに医師は、「それは大きなきっかけ」と答えており、失敗したことは否定していない。「大きなきっかけ」という言葉をどう解釈するか。このあたりも、事故と過誤の微妙な差なのかもしれない。ただ、腹水を抜くのに失敗したことが、百歩譲って医療事故だとしても、「出血に対して十分な対応を結果的にしていなかった。甘くみていたんだと思う」という部分は、事故か過誤かとどちらかといわれれば、過誤のカテゴリーに入るのではないだろうか。

それと、MBSが報道していた、

 その後女性が腹痛を訴え、皮下出血を起こしていたことがわかりました。
 しかし病院はすぐに血を止める治療を行なわず、数日後、輸血をしましたが、女性は先月16日、出血性ショックで死亡しました。

この報道が正しいとすれば、医者が認めているのように、医療事故の後に、医療過誤が起こったと解釈できるのです。というのは4日の時点で出血がわかっているにも関わらず、止血、輸血は6日となっており、空白の期間は何だったのかということです。このあたりへの反証を病院側は試みていません。事実関係はどうだったのか、明らかにしてもらいたものです。

しかしながら、トラックバックで、私のブログへの批判も拝見して、改めて勉強になりました。政治の世界は違うらしい(訂正→ずくなしさん)さんには、酔っ払いの居酒屋おじさん扱いされるし、でも、ここまで私の文章を分析していただいて、敬意を表します。一介の市会議員でも、認めていただいていると思うと身が引き締まりました。ただ、市会議員とて、言論の自由があること、自らの立場を考慮して口を噤むのは、よくないと思って、このブログでは野放図に話させていただいております。ご了承ください。それと、私のブログの「殺人罪、業務過失致死で告発の可能性がある」との文言をかなりプレッシャーに感じておられるようですが、市会議員にはそんな力はありませんので、ご認識ください。

それと、政治の世界は違うらしいさんは、

私の「・・・確かに、私は医療の専門家でもないけれど、いろんな医師のブログで、治療自体は、かなり危険との指摘もあった。」との表現について、「辻氏が該当の医師のブログを提示しない限り、説得力はない。また、何が危険なのか(技量か、器具の選択か、患者の状態か?)が分からない状態で、書かれている事を鵜呑みにするのでは、如何なものか」と書かれていましたが、これは、ミスではないと主張する うろうろドクターさんのhttp://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/27530753.html主張で、

『肝硬変』という病気は
血液中の血小板が減少し、出血傾向を示す病気です。
そして、
「針を刺す」という医療行為には出血する危険性が伴います。
その2つが合わさって不幸な結果となったのです。

もちろん、穿刺に1度失敗したのは事実です。
ただ、残念ながらすべての医療行為を1回で成功させるのは、神様以外には不可能です。 とおっしゃっています。

ところが、同じく、ミスではないと主張するよっしぃの独り言さんは、

腹水穿刺は、手技の中でもどちらかと言えば容易に安全に出来る手技であると思います。

指導医の元、研修医に行わせるのはごくごく当然の事であると思います。

ただ、数回やってダメならば指導医に代わるべきだとは思いますけど。

今回の腹水穿刺は2回目でちゃんと抜けてますので手技自体の問題は全くないと考えられます。

そのあとの止血に関する問題はどうなのかわかりませんけど。

 

同じ医療関係者なのに、見解が正反対なので、どちらが本当なのでしょうか。神様以外不可能なのか、容易に安全に出来る手技なのか、素人にはわかりません。神様しかできないことを研修医にやらせたら、初歩的な判断ミス、容易に安全にできる手技だとしたら、初歩的な技術ミスということで、いずれにしても初歩的なミスに変わりはないと思います。

また、医療報道を斬るさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/tinyant/diary/200901120000/

おそらく針を刺しただけで大量出血するほどの凝固障害(血液が固まらず止血できないこと)があるとは思わなかったのでしょう。それほど重症だと予想しなかったという意味で「甘く見ていた」のだと思います。それがミスだと言われれば仕方がありませんが、病状が予想外に重いと言うことはよくあります。

とミスと言われても仕方がないとおっしゃっており、どなたの意見が医療関係者としては適切といえるのでしょうね。

 

(この後)うろうろドクターさんから、

『どんな簡単な作業とはいえ絶対一回で成功するわけではない』ということです。
腹水穿刺という手技が、『神様以外不可能』なA級難度の手技なわけではありません。
明らかな誤読です

とご指摘をいただきました。腹水穿刺自体は、そんなに難しい手技ではないそうですが、すべての医療行為を1回で成功させるのは、神様以外は不可能ということだそうです。

簡単な医療行為でも間違うことはあるという意味なのかしらん。

まぁ、確率的にはそうなのだろう。弘法も筆の誤り、猿も木から落ちるということなのでしょうが、たまたまその場面に出くわした患者はたまりませんね。

もしかしたら失敗することも百に一つないとは限りませんなんて、医者に言われて、はいそうですか、なんていう患者はいないでしょうね。

簡単な処置ぐらい、失敗しないと確信してほしいものですが……。無理なようです。

そのときのコメントのやりとりは次のとおりです。  新しいコメント順になっているので読みにくいですけど。

田中 芳樹さんの投稿:

お返事有難うございます。
>患者の立場からすると、失敗する可能性がゼロではないと思いながら治療をされると、怖くなります。
お気持ちはわかりますが、
われわれからすれば、「俺の手術は絶対に失敗しない」
と思い込んでいる人間のほうが危険です。

医療では、どんな簡単そうに思われる手技(例えば筋肉注射や、おできの切開など)でも、
合併症(出血や、クスリのアレルギーなど)が発生する危険性があります。
場合によっては生命が危険に晒されることもあります。

失敗や合併症の発生をゼロにしようと、医療者は日々研鑽を重ねていますが、
医療を行なうのが人間である以上は、
『予期せぬ出来事や結果』を根絶することは、どんなに医療が進歩しようと不可能です。
『医療には不確実性と限界がある』のです。
http://d.hatena.ne.jp/SIRO0112/20090111#1231676969
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/24124797.html

>絶対大丈夫といってくれる医師はいないんでしょうか。
>いないんでしょうね。
手技のリスクに対して、患者さんや家族の不安が極端に強い時は、
安心させる為に『絶対大丈夫』と言うことがありますが、
内心では「何かトラブルが起きたらどうしよう…」と思っているものです。
それが医療の不確実性です。

『絶対の安心』というものは、医療には存在しないのです

ご理解頂けると幸いです。

1 月 16 日 | 削除

辻 義隆さんの投稿:

田中芳樹さん
コメントありがとうございました。

いうことは、今後は、簡単な作業でも、失敗の可能性をお知らせしないと大変なことになるという可能性もありますね。医療現場が訴訟リスクを背に負っている
現状はよくわかりましたが、患者の立場からすると、失敗する可能性がゼロではないと思いながら治療をされると、怖くなります。絶対大丈夫といってくれる医
師はいないんでしょうか。いないんでしょうね。

1 月 14 日 | 削除

田中 芳樹さんの投稿:

はじめまして、うろうろドクターと申します。
引用頂き有難うございます。

私が言いたかったのは、ずくなしさんと同じで、
http://pine.zukunashi.org/index.php?UID=1231853240
『どんな簡単な作業とはいえ絶対一回で成功するわけではない』ということです。

腹水穿刺という手技が、『神様以外不可能』なA級難度の手技なわけではありません。

明らかな誤読です。

とにかく、いろいろな考え方を見聞きして、おかげさまで、勉強になりました。医療関係者のブログは、たいてい業務上過失致死の医療への適用は、日本の医療をだめにするというような調子のものが多く、反対に、遺族や患者の立場から、公正な判断を求めるホームページもあります。これからも、いろいろな観点から思索したいと思っております。

   

医療過誤・医療ミス|債務整理など、弁護士の法律相談なら法律事務所ホームロイヤーズ

医療過誤原告の会 http://www.genkoku.jp/archives/141

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民間療法の暴露大会

医療過誤問題研究会 http://iryokago.com/index.html

NATROMさんの日記  http://d.hatena.ne.jp/NATROM/

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政治の世界は違うらしい http://pine.zukunashi.org/index.php

 研修医、治療中に血管傷つけ患者死亡 兵庫・尼崎 – 元検弁護士のつぶやきhttp://nishidasaburou.iza.ne.jp/blog/entry/803906/

追伸 「政治の世界は違うらしい」は、ブログ名ではなく、タイトルでした。執筆者から「ブログのタイトルは『老婦人の夏』です。ハンドルネームは『ずくなし』『zukunashi』です。これは記事の一番下に【posted by ずくなし】と書いてあるのをご覧いただければ分かります。『政治の世界は違うらしい』は記事のタイトルです。私は政治家とネットで遣り取りしたのは3回目ですがいづれの方もそういう事についてはルーズでした。名刺をいただいた時に『東京都さんと仰るのですか』と言えば相手は呆れて『それは住所です』と返事する事でしょう。そのような事をされるのはあまり褒められる事ではないでしょう」との厳しいご指摘を受けましたので訂正をさせていただきます。ずくなしさん、どうもすみませんでした。 m(_ _)m

    ← 最後の布は一体……。

尼崎医療生協病院の女性患者死亡 「ミス」覆した病院に遺族ら怒りの会見

1月24日8時4分配信 産経新聞

 尼崎医療生協病院(尼崎市)で昨年12月、肝硬変で入院していた同市内の女性=当時(35)=が針で腹水を抜く際、血管を傷つけられ、死亡した事故の遺
族が14日、同市役所で会見を開いた。事故発覚後、病院側が「医療過誤とは判断しない」とコメントしたことに対し、遺族らは「ミスがあったと謝罪したでは
ないか。どうしてそんなことを言うのか」と痛烈に批判した。

 遺族らによると、病院側はこれまでに2度、遺族宅を訪問し、ミスを認めて謝罪。しかし、事故発覚後の今月8日に行った会見では「ミスではない」と従来の説明を覆した。

 女性の姉(41)は「主治医と研修医は誤って血管を傷つけ、出血が止まらず死亡したと認めていた。病院は『誠意をもって対応する』といっていたが、誠意の形がこんな形だとは」と語気を強めた。

 また、母親(65)も「入院中も主治医は娘をほとんど診ていなかったし、病院に対しての不信感は募るばかり。病院はこの無念さを受け止めて、しっかりとミスを認め、謝罪してほしい」と訴えた。

 事故は昨年12月4日に発生。研修医が針(直径1.7ミリ)を女性の腹部に刺し、腹水を抜く治療を行った後、出血が止まらなくなるなど女性の容体が急変。同16日に出血性ショックで亡くなった。 

辻よしたかのホームページ

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7件のコメント

カテゴリー: ニュースと政治

尼崎医療生協病院が謝罪文。ミスは認めず。」への7件のフィードバック

  1. 芳樹

    はじめまして、うろうろドクターと申します。引用頂き有難うございます。私が言いたかったのは、ずくなしさんと同じで、http://pine.zukunashi.org/index.php?UID=1231853240『どんな簡単な作業とはいえ絶対一回で成功するわけではない』ということです。腹水穿刺という手技が、『神様以外不可能』なA級難度の手技なわけではありません。明らかな誤読です。

  2. 義隆

    田中芳樹さんコメントありがとうございました。ということは、今後は、簡単な作業でも、失敗の可能性をお知らせしないと大変なことになるという可能性もありますね。医療現場が訴訟リスクを背に負っている現状はよくわかりましたが、患者の立場からすると、失敗する可能性がゼロではないと思いながら治療をされると、怖くなります。絶対大丈夫といってくれる医師はいないんでしょうか。いないんでしょうね。

  3. 芳樹

    お返事有難うございます。>患者の立場からすると、失敗する可能性がゼロではないと思いながら治療をされると、怖くなります。お気持ちはわかりますが、われわれからすれば、「俺の手術は絶対に失敗しない」と思い込んでいる人間のほうが危険です。医療では、どんな簡単そうに思われる手技(例えば筋肉注射や、おできの切開など)でも、合併症(出血や、クスリのアレルギーなど)が発生する危険性があります。場合によっては生命が危険に晒されることもあります。失敗や合併症の発生をゼロにしようと、医療者は日々研鑽を重ねていますが、医療を行なうのが人間である以上は、『予期せぬ出来事や結果』を根絶することは、どんなに医療が進歩しようと不可能です。『医療には不確実性と限界がある』のです。http://d.hatena.ne.jp/SIRO0112/20090111#1231676969http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/24124797.html>絶対大丈夫といってくれる医師はいないんでしょうか。>いないんでしょうね。手技のリスクに対して、患者さんや家族の不安が極端に強い時は、安心させる為に『絶対大丈夫』と言うことがありますが、内心では「何かトラブルが起きたらどうしよう…」と思っているものです。それが医療の不確実性です。『絶対の安心』というものは、医療には存在しないのですご理解頂けると幸いです。

  4. 義隆

    うろうろドクターさんの今回の一件に関するまとめの記事を拝見しました。考え方を一致させることは難しいにしても、歩み寄ることは可能だということが実感できました。ありがとうございます。今後も、私なりの意見を綴ってまいりたいと思いますが、また、ご指摘いただければ幸いです。

  5. 俊朗

    99.9%成功する手術だって、残り0.1%に入って患者が亡くなってしまうケースはいくら努力しても排除できないし、1000人中999人に副作用が出ない薬だって、残り1人に重篤な副作用が出て死亡する危険性は排除出来ない。医療に「絶対」とか「100%」は決してありません。どれだけ医療技術が進んでも、医療従事者が完璧でない人間であり、また、患者も完璧でない人間である以上、不幸なケースが起こる可能性は、決してゼロにはなりません。簡単な手術、副作用の少ない薬であっても、不幸なケースは決してゼロには出来ません。難しい手術、副作用が強く出る薬だったらなおさらです。それが「医療の限界」というものです。

  6. 義隆

    100%を達成できないというのは、現状として理解できます。しかしながら、例えば、飛行機に乗った時に、航空事故は100%起きないとは限りませんので、心して乗って下さいとは言わないでしょう。ただ、万が一ということもありますので、救命具、非常口の確認をお願いしますというでしょう。列車事故だって、100%起こらないとはいえませんが、運転士が100回に一度ぐらい事故が起こるのはあたりまえ思いながら運転していたら、それはそれで、怖いことだし、いざ、事故が起こったときに、運転士が「事故が100%起こらないとか、絶対起こさないということはあり得ないことなんです」と開き直って、インタビューに答えたら、どう思われすか?つまり結果的事実、統計的数字と、それを執り行う責任者の心構えとは違って当然だということです。製造現場で、100個に1個は欠陥商品がでるのは当たり前と思っていたら、いつまでも歩留まりは改善されませんが、100%いい商品を製造しようとすれば、100個に1個が、1000個に1個、1万個に1個となるのわけです。その点では、うろうろドクターさんの見解では、日々努力していますとおっしゃっていました。患者にとっては、医師が「事故がゼロになるように力を尽くしたい」と、その心意気が伝われば十分なんです。「医療の限界」をわかった上で、その限界点を押し上げるご努力される医師が増えることを願ってやみません。

  7. パイングッド

    非常に不可解なのでコメントさせていただきます。航空機事故、列車事故、製造業云々で例を出してらっしゃいますが、基本的にどの職場でも事故を起こすのが当たり前だという風に考えてはいないでしょう。医者も同様じゃありませんか?減らすよう努力している心意気と申されますが、それはある意味余裕のある職場で出来ることと思います。もし、航空パイロットが夜を徹して飛行した後で、すぐ次の便も仮眠して搭乗するような場合を想定してみたら如何でしょうか。もっと身近では実際長距離トラックでは過密なスケジュールによって起きたと思われる事故について報道されています。同じように病院ではどうでしょう?大阪市の公立病院では如何ですか?夜勤後通常業務はありませんか?当直は本来業務じゃないので患者を診る必要が無いはずなのに、仮眠もとれずに診察や手当てをしている医者、看護師はおられませんか?運送業では法律で罰せられますから(それでも零細な運送業では超過勤務はいまだに行われているのですが)公の抑止が効きます。では上記のような本来では違法になる勤務を放置しておられる辻先生はなぜ医療に100%を求めるのでしょう。心意気を見せても医療事故は減りません。合理的なリスクマネージメントが必要だと考えます。その前提としてまず『医療に限界が存在する』事を念頭に置き、行政、立法なども含めた(医療従事者のみに責任を負わせるのではなく)アプローチが必要になるべきでしょう。そういうお考えはございませんか?

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