拉致問題解決の前に、市川トミさん亡くなる。


拉致被害者の市川修一さんの母、市川トミさんが亡くなった。享年91歳だったそうで、ついに親子対面はなされなかった。ご冥福をお祈りする。

この問題は、政争の具にせず、超党派で取り組んでもらいたいものだが、どうしても、北朝鮮の思惑が日本の世論、政治を分断しがちだ。

願いはただ一つ、拉致被害者が無事に日本の地を踏めるよう、是非とも政党の垣根を越えて手を結んでいただきたいと念願する。

 

 

以下、朝日新聞、47news、時事通信、読売新聞、産経新聞

130人が別れ 拉致被害者の母・市川トミさん葬儀

2008年11月17日18時54分

写真市川トミさんの遺影が飾られた祭壇に手を合わせる遺族ら=17日、鹿児島県鹿屋市(代表撮影)

 1978年に鹿児島県日置市の吹上浜海岸で北朝鮮に拉致された市川修一さん(行方不明当時23)の母親で、15日に91歳で死去したトミさんの葬儀が17日、自宅のある同県鹿屋市内で営まれた。

 約130人が参列した。拉致被害者家族連絡会代表の飯塚繁雄さん(70)は弔辞で「一刻も早く被害者を帰国させることを約束します」と述べた。修一さんの兄健一さん(63)はあいさつで「母は弟の顔を見るまではと頑張っていた。悔しくてならない」と言葉を詰まらせた。

 葬儀には、修一さんとともに拉致された増元るみ子さん(同24)の弟照明さん(53)や姉の平野フミ子さん(58)、内閣官房拉致問題対策本部事務局の河内隆・総合調整室長らも参列した。

 

トミさんの葬儀しめやかに  拉致被害者市川さんの母

 北朝鮮による拉致被害者市川修一さん=失跡当時(23)=の母で、15日に亡くなったトミさん(91)の葬儀・告別式が17日、鹿児島県鹿屋市の斎場でしめやかに営まれた。知人ら約130人が参列、最後の別れを惜しんだ。

 葬儀には、修一さんと一緒に拉致された増元るみ子さん=失跡当時(24)=の弟照明さん(53)や、拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表も参列。

 修一さんの兄健一さんは「修一を母の胸に抱かせてやりたいとの一念で頑張ってきたのに、悔しくてなりません」と目を赤く腫らしながらあいさつした。

 政府からは拉致問題対策本部の河内隆総合調整室長が出席。「拉致問題の解決に全力で取り組む」との麻生太郎首相の弔電も読み上げられた。

 修一さんは1978年8月、るみ子さんとともに、鹿児島県の吹上浜で拉致された。2002年9月に北朝鮮側から死亡を伝えられたが、トミさんらは今年新築した自宅に修一さんの部屋も造り、帰国を待ちわびていた。

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「ざんきに堪えない」=拉致被害者の母の死去で-河村官房長官

 河村建夫官房長官は17日午前の記者会見で、北朝鮮による拉致被害者市川修一さんの母トミさんが15日に死去したことについて、「存命中に修一さんを取り戻せず、ざんきに堪えない」と述べた。
 また、横田めぐみさんが拉致されて15日で31年となったことにも言及し、「拉致被害者家族に高齢の方が多く、問題解決が待ったなしの状況だと強く認識している。取り組みを加速しなければならない」と語った。(了)(2008/11/17-12:09)

 

拉致被害者・市川修一さんの母トミさん、91歳で死去

市川修一さんへの思いを語るトミさん(左)と健一さん(2007年9月、鹿児島県鹿屋市で)

 1978年8月に鹿児島県日置市の吹上浜から北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)の母・トミさんが15日午後3時22分、くも膜下出血で亡くなった。

 91歳。告別式は17日正午、同県鹿屋市輝北町上百引(かみもびき)1930上村葬祭輝北斎場。自宅は同市輝北町市成1126。喪主は夫、平(たいら)氏。

 トミさんは10日朝、朝食の支度中、自宅台所で倒れ、意識不明となり、鹿屋市内の病院に入院していた。

 トミさん、平さん夫妻は、次男・修一さんが生まれた1954年、鹿屋市輝北町に商店を開き、昨年12月まで営んでいた。78年7月、店をスーパーマーケットに衣替えし、改装セールには、電電公社(現・NTT)職員で鹿児島市に住んでいた修一さんも手伝いに駆けつけた。その約2週間後の8月12日、修一さんは交際中の増元るみ子さん(鹿児島県姶良町、当時24歳)と一緒に拉致された。

 近年、店の経営は長男・健一さん(63)に任せていたが、健一さんが拉致被害者家族会の活動で留守の時にはトミさんが店番をした。来店者が「おばちゃん頑張ってよ」と声をかけると、トミさんは深々と頭を下げていたという。

 店の敷地が国道の拡幅工事にかかり、夫婦とも90歳を超えたため、スーパーは閉店。昨年末、店の取り壊しの日、「修一に会いたい。早く一緒に暮らせる日が来ることだけを願っています」とトミさんは涙を浮かべ、思いを語った。

 健一さんは「普通なら大往生といえるが、修一が帰らず、会わせられなかったことが残念で悔しい」と涙ながらに語った。家族会事務局長で、るみ子さんの弟・増元照明さん(53)は「2人の生還をもう少し待っていてほしかった。私たちの力不足を痛感する。拉致被害者の親世代の高齢化が進み、時間がないことを政府は肝に銘じてほしい」と語った。

(2008年11月16日  読売新聞)

一刻の猶予もない拉致家族 市川修一さん母、トミさん死去 (1/2ページ)

2008.11.16 18:59

 北朝鮮による拉致被害者の家族がまた一人、再会を果たせないまま亡くなった。家族から30年以上も幸せを奪い、いまなお、新たな「悲しみ」を家族に与え続ける北朝鮮。解決に背を向ける非道さが、改めて浮かび上がる。

 15日午後、拉致被害者、市川修一さん=拉致当時(23)=の母、トミさんが、くも膜下出血のため亡くなった。91歳だった。10日の朝、「頭が痛い」と訴え、自宅で突然倒れて入院。帰らぬ人となった。16日夜に行われた通夜には、家族会代表の飯塚繁雄さん(70)らが駆けつけた。

 修一さんは昭和53年8月、デート中だった増元るみ子さん=同(24)=とともに、鹿児島県・旧吹上町(現日置市)の吹上浜で拉致された。

 以後、トミさんの前ではタブーとなった修一さんの話。それが変わったのは平成7年。韓国に亡命した元工作員が「修一さんを見た」と証言してからだ。

 北朝鮮は平成14年9月の日朝首脳会談で「死亡」と伝えてきたが、トミさんは「修ちゃんは生きている」と気丈だった。修一さんのスーツを虫干しし、今年新築した自宅には、修一さんの部屋も造った。

 今年5月の「母の日」には、ランの鉢植えをプレゼントされ、「修一もおじさんになっただろう。私が元気なうちに早く会いたい」と絞り出すように話した。

 突然訪れた母の死。修一さんの兄、健一さん(63)は「普通なら大往生だが、修一に会わせてやれなかったのが残念で仕方ない」と涙ぐんだ。

 年齢を重ね、体力的な衰えは他の家族も同じだ。るみ子さんの父、正一さんや、修一さんの姉、渡辺孝子さんらも再会かなわず亡くなった。署名、講演などで必死に救出を訴える家族だが、親世代にとって負担は年々重くなっている。

 トミさんが亡くなった15日はくしくも、横田めぐみさん=同(13)=が拉致されてちょうど31年目の日だった。

めぐみさんの母、早紀江さん(72)は「いつまでも解決できないことに怒りさえ感じる」と話す。

 元気なうちに子供、兄弟を抱きしめたい…。命を削る思いで活動する家族には、一刻の猶予も残されていない。(住井亨介)

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カテゴリー: ニュースと政治

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